原相論は統一思想の根幹となる部分ですので、少し長くなりますが詳しく説明します。
原相論(本体論)は神または宇宙の根源に関する理論です。
神様はどの様な方かと言われれば下の図のようになります。
もちろん、わかりやすく分解して現しているだけです。
順に説明して行きますが、まず従来の神観、根源者についての考え方を見てみましょう。
①は朱子学の宇宙論で、宇宙の根源を陰陽の統一体としての「太極」「太虚」であると言いった。
東洋思想の世界観と言ってもいいでしょう。
これは神を精神的な側面が欠けているために、唯物的な思考に陥りやすい。
②は伝統的キリスト教、アウグスティヌス、トマス・アクィナスの神観で、神を精神と見た。
これは逆に、物質的なものを廃し、死後の救いのみを重視しがちで、現実生活の問題解決ができない。
それに対して統一思想の神観は③。
神の形てしての側面「神相」と性質としての側面「神性」(機能、性質、能力)を同時に認めています。
また、ニーチェは、世界の本質を「権力への意志」であるとし、それを体現化した理想像として「超人」を立てて人間は超人を目指していかなる運命にも耐えていなかければならないと主張しました。
同時に「神は死んだ」としてキリスト教の伝統的価値観を奴隷道徳と呼び否定し、本能による生活、生命が要求するままの生活を全面的に肯定。
これは力による現実問題解決にはなったが、その思想はヒトラーやムッソリーニに利用されました。
ニーチェが見たキリスト教の神は、高い所に座して、良いことをした者には死後の復活を約束し、悪いことをした者には罰を与えるという、審判の神であり、彼岸的な神であったのであり、イエスの教えそのものではありませんでした。
統一思想によれば、神は高いところに座している神でなく、我が子を救うために地獄の底に降りて行かれる神です。
また、その神の創造目的は天上でなく、まず、この地上に天国を創建することです。
また、人間には「よろずのものを治めよ」と神に祝福されたように、万物の主管性が与えられたので、その様な欲求(支配欲)が備わっていますが、それは愛による主管(支配)であって、権力による支配ではない。
ニーチェは、精神、愛、理性を無視し、肉体、本能、生命を重視せよと主張し、人間の霊性を無視してしまった。
霊性を無視したあとに残るのは、神が創造しようとした人間とはかけ離れた、動物的な肉体と本能だけである。
また、マルクスは、世界の本質は物質であり、事物の中にある矛盾の闘争によって世界は発展していると主張。
その思想は人間の精神や愛も脳の産物と捉え、階級闘争によって革命に参加することでのみ人間の価値を認めた。
結果、家族内ですら闘争の場となり、結婚や家族制度の否定など極端な思想に発展しました。
以上見たように、宇宙の根源をいかに把握するか、あるいは神の属性をいかに理解するかによって、人間観、社会観、歴史観が変わり、それによって現実問題の解決方法が変わるのです。
したがって、正しい神観、正しい本体論を立てることによって、現実の人生問題、社会問題、歴史問題を正しく、根本的に解決することができるのです。
統一思想によれば、神の最も核心的な属性は「心情」です。
心情を中心として、神は存在しているのです。
そして、心情によって目的が立てられると、神ご自身内での授受作用が発展的に進行し、創造がなされるのです。
マルクスが言うように発展は闘争によってなされるのでなく、相互に授け受けする授受の作用によってのみなされるのです。
従来の本体論では、理性が中心であったり、意志が中心であったり、概念が中心であったり、物質が中心であったりしました。
そして精神または物質だけが実体であるという一元論が現れたり、精神と物質が両方とも宇宙の実体であるという二元論が現れたのでした。
統一思想を知ったなら、従来の本体論が神の属性を全く正しくとらえることができていなかったという事がわかるでしょう。
はじめに詳しくお話すると、混乱してくると思いますので、まず、全体を理解していただくために、原相論について、ざっくりと説明します。
その後、順を追って詳しく説明していきますので宜しくお願いいたします。
原相論は一番難しいかもしれませんが、一番重要です。
統一思想は神から始まる思想ですので、神に対する理論、原相論は統一思想の根幹を成すものです。
言葉自体、聞き慣れない造語も多いですが、私達の生活や人生に密着している内容ですので、神様があなたの創造主であるなら、必ず理解できるはずです。
こちらの図の神を図に現したものになります。
「内容」とは原相そのもののことで、「構造」とは「神相」内における相互関係を説明しています。
図は分けて書かれていますが、神の中では全てが完全に一体になっています。
説明の為に、あえて分けるとこのようになるということです。
「神相」は神様の形の側面です。
神様は目に見えませんが、一定の形または形に成りうる可能性、規定性を持っています。
それが神相です。
神相には「性相と形状」「陰性と陽性」「個別相」があります。
「性相と形状」
「性相」は、神様の心であり、被造物の無形的、機能的な側面の根本原因となります。
「形状」とは形、物質に成りうるエネルギーの前段階の状態、被造物の有形的、質料的な側面の根本原因です。
”性相と形状”は人間に例えるなら”心と体”となります。
この性相と形状は同一の存在の相対的な両面の形を言い表しており、形状は第二の性相と言える。
よってこの二性を「二性性相」と言っています。
また、性相と形状は各々主体と対象の関係にあります。
「陽性と陰性」
易学の陰陽の概念に近く、「陽性」とは明るさ、強さ、硬い、暑い、表、外などであり、「陰性」は暗さ、弱さ、柔らかさ、寒い、裏、内などとなりますが、易学がこの陰陽=太極を宇宙の根本と見るのと違い、統一思想では各々を性相の属性と捉えています。
性相の属性として陽性と陰性が現れ、形状の属性としても陽性と陰性が現れているのです。
人の心(性相)に陽性が強く出れば、力強く積極的になり、陰性が強く出れば、しとやかで控えめになり、体(形状)に陽性が現れれば、筋肉質で大きくなり、陰性が強く出れば、か弱く小さくなります。
この陽性と陰性も性相と形状と同じく「二性性相」となっています。
また、陽性と陰性も各々主体と対象の関係にあります。
「個別相」
人間を例に上げて言えば、個性として現れるもので、上記の「性相と形状」「陽性と陰性」の差異によって人にはそれが現れます。
特に神の似姿として創造された人間は、全く同じ性格や外見の人は存在しない。
これは、原相内にある無限の個別相が実体として現れるからです。
人以外の被造物においてそれは、主に”種”の違いとして現れ、動物から植物、鉱物と創造の段階が下がって行くにつれて、個体ごとの個性は見られなくなります。
「神性」は機能、性質、能力の側面です。
キリスト教などの一神教で言われている、全知全能、愛などはここに該当します。
図では神相と神性を分けて書いていますが、「神性」は先に説明した「性相」内部にあたります。
「心情」
性相の核心となる部分であるとともに、神の核心的要素で心情とは「愛を通じて喜びを得ようとする情的な衝動」です。
「情的な衝動」とは、内部から湧き上がる抑えがたい願望、または欲望を意味します。
「ロゴス」
ロゴスは、キリスト教では神の言葉を意味し、ヨハネによる福音書の冒頭、
『はじめに言(ロゴス)があった。
言は神とともにあり、言は神であっ』
という聖句は、キリスト教に関心が無くても何度か聞いたことがある聖句であると思います。
ロゴスは元々ギリシャ語で、「言葉」あるいは「理法(理性と法則)」という意味で、統一思想では、特に「完成された構想」「設計図」「計画」を指しています。
その結果創造されたのが被造物であるので、被造物は全て理性(自由)的要素と法則(必然)的要素が統一的に含まれています。
このことは人間を含めた被造世界は、神が定めた法則から離れて自由になれないことを意味しています。
また、「理法」は「御言葉」の一部であり、御言葉の土台となるのは神の心情であるので、理法にも愛が作用しているのです。
「創造性」
神様の創造は偶発的なもので、自然発生的なものでもありません。
それは愛を通して喜びたいという情的衝動と、愛という明白な目的によってなされたのです。
それは「心情を動機とした創造」(心情動機説)なのです。
原相内の仕組み、主に「性相と形状」の相互関係について、神の愛を中心として主体と対象が授け受けする「授受作用」の法則について。
これは、人間個人から家庭、社会、国家、世界の問題、全ての根本解決につながる、根本原理となります。
その法則を空間的に見たのが「四位基台」で時間的に見たのが「正分合作用」となります。
授受作用について
最後に、統一思想を知るにあたってとても重要となる「授受作用」について簡単に説明します。
あらゆる存在は、性相と形状による二性性相の相互関係、陽性と陰性の二性性相の関係を結ぶことによって存在しています。
どちらも一方だけでは存在できず、主体と対象とが、共通の目的を中心に、良く授け良く受ければ、その存在のためのすべての力、すなわち、生存と繁殖と作用などのための力を発生するようになっています。
このような過程を通して、力を発生せしめる作用のことを授受作用といいます。
例を上げれば、人間の心と体、男性と女性であり、人と万物の関係。
自然界では天体間の万有引力、動物と植物間の二酸化炭素と酸素の交換などです。
以上で原相論の概観を終え、詳細を説明していきます。