先に個性真理体は性相と形状、陽性と陰性の普遍相をもつことを説明しましたが、性相と形状も、陽性と陰性も、共に主体と対象の関係にあります。
ところで被造物である個性真理体は、性相と形状、陽性と陰性以外にもう一つの主体と対象の相対的要素をもっています。
それが主要素と従要素(または主個体と従個体)です。
これは原相から創造された被造世界は、時空的性格を帯びているところから生じているものです。
例えば家庭における父母と子女、学校における先生と生徒、太陽系における太陽と地球、細胞における核と細胞質などは、性相と形状の関係でもなければ、陽性と陰性の関係でもありません。
これらは主要素と従要素、または主個体と従個体の関係なのです。
これらの関係もまた主体と対象の関係になっています。
このように個性真理体においては、
という三つの主体と対象の関係が成立しているのであり、これらはすべて神様の二性性相における主体と対象の関係に似たものなのです。
それでは主体と対象の性格はいかなるものでしょうか。
主体は対象に対して、中心的、積極的、動的、創造的、能動的、外向的。
対象は主体に対して依存的、消極的、静的、保守的、受動的、内向的です。
ところで、そのような主体と対象の関係において、一定の主体的要素と対象的要素が一時に様々な相対的関係をみなもつというわけではありません。
主として、一対の相対的関係をもつのです。
すなわち、主体が中心的なとき対象は依存的になり、主体が積極的なとき対象は消極的になり、主体が外向的なとき対象は内向的になります。
以上のような特徴を要約して、主体は主管的であり、対象は被主管的であると表現するのです。
存在者は必ず性相と形状、陽性と陰性、主要素と従要素(主個体と従個体)などの、主体と対象の相対的要素をもっています。
その事実を被造世界の各級の個性真理体、すなわち極大世界の天宙から極微世界の素粒子に至る系列の、各級の個性真理体を例に挙げて説明します。
天宙はいくら大きくても、それもまた一個の個性真理体です。
それは霊界と宇宙(地上界)から成っています。
霊界は目に見えない宇宙であり、地上界は目に見える宇宙ですが、これらが主体と対象の関係になっています。
この場合、霊界と地上界の関係は、人間の霊人体と肉身の関係と同様に、性相と形状という意味での主体と対象になっています。
次に宇宙を見れば、これも一つの個性真理体です。
宇宙には中心があり、その中心を約二千億の銀河(星雲)が回っています。
その場合、宇宙の中心にある部分が主要素で、多くの銀河は従要素です。
その主要素と従要素も主体と対象になっています。
それから銀河系も一つの個性真理体です。
私たちの住んでいる銀河系は中心核を成している恒星群(核恒星系)とそれを取り囲む約二千億個の星(恒星)の大集団から成っていますが、中心核と恒星は主要素と従要素であって、主体と対象の関係にあります。
太陽は銀河系の中の恒星の一つですが、太陽系も一つの個性真理体です。
太陽系は太陽と九つの惑星から成っていますが、太陽と惑星は主要素と従要素であって主体と対象の関係を結んでいます。
太陽系の惑星の中の一つである地球も一つの個性真理体ですが、地球には中心部(核)と地殻・地表があります。
これも主要素と従要素であり、主体と対象の関係です。
地表も一つの個性真理体と見ることができます。
地表には自然万物と人間が住んでいます。
人間は主要素であり、自然は従要素です。
そして人間は国家を形成していますが、国家は政府と国民という主要素と従要素から成る個性真理体です。
国家の単位である家庭も一つの個性真理体です。
家庭は父母と子女や、夫と妻の関係から成っています。
父母と子女はそれぞれ主個体と従個体としての主体と対象の関係であり、夫と妻は陽性と陰性の個体として、やはり主体と対象の関係にあります。
そして個々の人間も個性真理体であって、霊人体と肉身から成っています。
この場合、霊人体と肉身は性相と形状の関係であり、やはり主体と対象の関係にあります。
それから肉身も個性真理体として、脳と肢体の主要素と従要素から成っています。
そして肉身は細胞からできていますが、個々の細胞はそれぞれ個性真理体であって、核と細胞質という主要素と従要素から成っています。
細胞核もまた一つの個性真理体であって、染色体と核液という主要素と従要素から成っています。
染色体も一つの個性真理体であって、核酸(DNA)とタンパク質という主要素と従要素から成っています。
核酸もまた一つの分子であり、やはり個性真理体ですが、主要素である塩基と、従要素である糖・リン酸から成っています。
塩基や糖・リン酸を形成しているのは原子です。
原子も一つの個性真理体であって、二種の素粒子すなわち陽子(核)と電子という主要素と従要素からできています。
そして素粒子もさらに低次元の主要素と従要素から成っていると見ることができるのです。
このように、被造世界は小さくは素粒子から大きくは天宙に至るまで、いろいろな階級の数多くの個性真理体があり、それらがみな主体と対象の相対的要素から成っているのです。
ところで一つの個性真理体は、それより上位の個性真理体から見るときには、その上位の個性真理体の構成要素にすぎません。
例えば太陽系は太陽と惑星から構成される個性真理体ですが、銀河系という上位の個性真理体から見れば、銀河系の一つの構成要素にすぎないのです。
したがって「個性真理体」は相対的な概念なのです。
さらに「主体と対象」も相対的な概念です。
例えば太陽は太陽系の中では惑星に対して主体ですが、銀河系においては中心核(核恒星系)に対して対象になっているのです。
統一思想でいう主体と対象の概念は、従来の哲学における主体と対象の概念と必ずしも同じではありません。
従来の哲学でいう主体と対象の関係は、意識ないし人間とそれが対している物との関係を意味していたのですが、統一思想における主体と対象の概念は、それとは違って、人間と物との関係ばかりではなく、人間と人間の関係や、物と物との関係においても適用されます。
そして主体と対象関係には次のようないくつかの類型があります。
①本来型
神の創造から見て、永遠に成立する、普遍的な主体と対象の関係。
親と子、夫と妻、教師と生徒、恒星と惑星、細胞核と細胞質、原子核と電子などの関係。
②暫定型
暫定的に成立する主体と対象。
講義の行われている間だけ成立する講師と受講者の関係。
また、家庭において、夫が不在の時や病気の時は、妻が夫に代わって主体(家長)の責任をもつ場合があり、父母が老衰したり病気の時は、子供が父母に代わって家庭の責任をもつ場合など。
③交互型
主体と対象が交互に変化する場合。
話し手と聞き手など。
④不定型
主体と対象を人間が恣意的に決定する場合。
動物と植物の関係においての酸素・炭酸ガスの流れなど。
二つの個体が共通の目的を中心として主体と対象の相対関係を結ぶと、一定の要素または力を授け受ける作用が起きます。
その作用を授受作用といます。
その作用によって二つの個体(事物)は存続し、運動し、発展します。
例えば学校において、新入生が入学手続をすれば、その時から教師と学生の間に相対関係が成立するようになります。
その相対関係の基盤の上で、教師は教え、学生は学ぶのですが、それが授受作用なのです。
授受作用によって、知識や技術が伝達され、学生たちの人格が陶冶されるのです。
そのようにして教師は生きがいを感じ、学生は先生に感謝するのです。
また若い男女が何かのきっかけで知り合ったり、見合いをしたりして婚約し、結婚して家庭を築いて互いに愛し合うようになります。
そのとき、見合いをしたり、婚約をすることは、相対関係を形成することであり、結婚して愛し合うことは授受作用をすることです。
また太陽と惑星は四十六億年前から相対関係を結んでおり、それ以来、今日に至るまで、万有引力によって、力を授受しているのです。
そのようにして惑星は太陽の周囲を回っているのです。
原相論で述べたように、授受作用には「自同的授受作用」と「発展的授受作用」がありますが、被造世界においても、自同的授受作用と発展的授受作用の二側面があります。
また、神の性相の内部の内的性相と内的形状が、主体と対象の関係を結んで授受作用をすれば、合性体または新生体を生じますが、それが「内的授受作用」です。
そして性相(本性相)と形状(本形状)が、授受作用を行い、合性体または新生体を成すことが「外的授受作用」です。
神におけるこのような二段構造は、そのまま被造世界にも適用され、人間を含むすべての被造物は、必ず内的に主体と対象に二要素をもつと同時に、外的にも他者と共に主体と対象の関係を結んでいるのです。
例えば人間と万物の関係において、人間は内的性相と内的形状の授受作用、すなわち内的授受作用を行いながら(思考しながら)、外的授受作用によって、万物を認識し、主管しているのです。
そのとき、人間の内部において行われている、生心と肉心の授受作用を内的授受作用といい、人間と万物との授受作用を外的授受作用というのです。
授受作用にはいろいろな類型がありますが、これは主体と対象が、意志または意識をもっているのか否かによって区別される類型です。
授受作用の類型には次のようなものがあります。
①両側意識型
双方が意志または目的意識をもって行う授受作用。
②片側意識型
一方(主体)は意識をもっていますが、他方(対象)はただ受動的である場合の授受作用。
③無自覚型
植物と動物のガス交換など、主体と対象の両者あるいは一方(主体)が意識をもっていながらも、互いに無自覚的に行っている授受作用。
④他律型
物理法則や機械など、主体と対象が共に意識をもたず、第三者の意志によって、仕向けられている授受作用。
⑤対比型
人間が二つあるいは多数の事物を対比(対照)して、それらの間に調和を発見するとき、人間はそれらが授受作用を行っていると主観的に見なします。
これを対比型または対照型の授受作用といいます。
芸術家は作品を創るとき、鑑賞者が作品に対するとき、また、思考においても対比型の授受作用が見られます。